言えなかったこと。

Twitterにて詩を投稿しています。
雪水雪技(ゆきみず そそぎ)と申します。

昨日の記事『なぜ表現するのか。』
https://sosogi-yukimizu.hatenablog.com/entry/2022/05/25/200102

 言葉を使い、言葉を並べて、詩を書いている。また、ここに自分の考えをやはり言葉で書いている。しかし、現実の私は言いたいことを引っ込めてしまう癖がある。それを優しさと捉える人もいるかもしれないが、それは違うと自分でわかっている。これは、私の怠慢である。人に伝えることを諦めている私の悪癖である。
 言えなかったことが沢山あると、ふと考えたが、それは「言えなかった」のではなく「言わなかった」に過ぎないかもしれない。それは私の感情的な事柄であり、組織的な場においてそれを口にすれば、空気が乱れると思ったから言わなかった。だが、空気が乱れて困るのは、本当に周囲だったのだろうか。それは私自身だったのではないだろうか。
 そんなことを考えながら、今これを書いている。どうしてか、そうしなければならない気がしているからだ。私の心象的な出来事を全て詩に込めたとしても、それとは別に私は自分のことをもっと開示していきたいと思うのである。なぜなら、私にとってセルフイメージというのは全く役に立たないからだ。
 詩は特段、造語で出来ているものではない。そういう詩もあるだろうけど、私の詩にあるのは日常的な言葉たちだ。そこに込められているのは、どうしようもない自分の人生、生きていること、そのものへの違和感だった。
 社会人になってから、最初に教えられたことは二つ。「二十代はがむしゃらにやれるけれど、三十代はそれが難しくなる。」、「空を見上げながら人は落ち込めないものだ。」ということだった。二十代を終えて、最初の言葉は痛感している。ただただ、前進する力というものが明らかに落ちている。そうでない人もいることはわかっている。いくつになってもバイタリティに溢れてる人に何人も会ってきた。そこで生命的な活力の差は年齢によらないことを痛感していた。元気な人を見ていると、肩身が狭くなった。それを隠して、元気なふりをして一生懸命に笑っている自分を冷めた目で見ているもう一人の自分に気づかないふりをしながら。
 二つ目に関してはどうにも違うらしいと思った。二十代、社会人生活をしていた頃、帰り道は大体電線を見上げて「死にたい」と思っていた。どうして電線を見ながらそんなこと思うのか、疑問にも思っていなかったが、あの二つ目の言葉を実践する癖がついていただけのことだった。だからわかったことだが、「人は上を向こうが下を向こうが落ち込むときは落ち込むのだ。」
 誰といても、一人でいても、心の中に常にあった気持ちは「生きていたくない」だった。どれだけ仕事で褒められていても、どれだけ信頼を得ても、どれだけ恵まれた環境にいても、二十代の私は「生きていたくなかった」。あるトラブルが起こってから、精神的に崩れることが増え、その度に希死念慮は強くなった。今も心療内科に通っている。落ち着いては来ているが、いつだって生きていることそのものへの違和感が消えない。
 だけどそんなこと誰にも言えなかった。親を悲しませたくなくて、人に面倒をかけたくなくて、別に構われたいわけでもなくて、特別扱いされたいわけでもなくて、それでもただ、「この世界からどうか早めにいなくなりたい」という気持ちがあった。
 こういうことを書いたなら、「それでも今は元気です」、とか、「ありのままの自分を認めたら人生が変わりました」、とか、そういう方向に結びつけて書けるのならいいのかもしれないけれど、私には今でもこの違和感が居座り続けている。もう、組織に属したり、雇用されたり、絶対的に生じる避けられない人間関係の中で生きていくのはとにかく耐えられなくなった。
 「詩と文で生きていきたい。」無名の私には絵空事みたいな目標だと思う。これでもっと有益な情報を伝える文章が書けるのなら現実味はあったかもしれない。けれども結局、私には自分を欺く力が残っていなかった。組織の中で働くということが、そもそも向いていなかったのだ。しかし、楽しいこともあった、悪いことばかりじゃなかった、みんなのことが嫌いなわけじゃなかった、みんなと仲間だって思える瞬間は幸せだった、でももう無理だった。
 「具体的に何があったのか」は、ここに詳しく書くことはない。それは、もしも私の正体を知った人がこれを読んだ時に怒ったり悲しんだりするのが、嫌というか、もう他の人間の感情そのものが重くて耐えられないからだ。随分と身勝手になった。でもそれが変えようのない事実であり、本音だから、そう書くほかない。だから、「こうなったこと」のきっかけについて瑣末なことを具体的に書くことは無い。
 ずっと「こうあらねばならない」、「こうあるべきだ」という考え方で生きてきた。堅実であること、真面目で誠実であること、人を裏切らないこと、それさえ守れば私は救われると思っていた。けれども、そういうものではない。そういうものではないとわかった時に、ズルいことをするのも、不義を働くことも、全部嫌だった。それどころか、人の不誠実にはどんどん潔癖になっていった。ドライになれなかった。割り切ることが出来なかった。結局、私はちっとも大人になれていなかったのだ。そう気づいた時は愕然とした。今まで、聞き分けよく、気を回して立ち回っていた自分は、大人に褒められたい子供のような心でそうしていたのだった。幼稚で悲しい成人女の姿が浮かび自分で自分が居た堪れなくなった。
 ひとつの終わりは、暗転というより真っ白だった。どうすればよかったかなんて、頭ではわかっている。しかし、心が、体が、それを拒否したから今がある。本当に、どうしようもなくなって、ぷかぷかとシャボン玉のように言葉が部屋の中に満ちていった。それをひとつひとつ弾けさせていくように詩を紡いだ。誰かのためには書けなかった。自分のためにしか書けなかった。前向きな言葉を書けなかった。頼りない煙のような、どこにも留まらないような、そんな言葉ばかりを書いている。
 生産的なことが書けたならいいけれど、それなら多くの人が既にやっている。私は私を開示することで、誰かが私を見つけた時に、誰かの行き場のない思いのほんの少しの停車場にでもなれるなら、それでいいと思っている。自分と同じ人間なんていない。これを読んでくれているあなたと同じ人間もいない。だから何もかもわかり合うことなんて出来ない。わかり合えると信じることは危険だ。
 他人が自分の絶対的な味方になることもない。何もかもに同意してくれる人などいない。頭ではわかっていても、どこかで期待をする。そうしてまた傷つく。痛い目を見ても、私はまた繰り返している。全部受け入れて仕舞えば良いと思っても、何もかも受け入れられるような心を持っていなかった。かつて私は自分の包容力を信じていたことがある。しかし、それは思い上がりだった。私は見返りを求めた。だから傷ついた。かつて私は自分の優しさを信じていたことがある。しかし、やはりそれも思い上がりだった。私は相手にも同じようにあることを求めた。だから傷ついた。悲しみ、怒った。
 そんなことを繰り返して、今日まで生きてきた。キラキラした毎日なんて別にいらない。人に羨まれる人生なんかじゃなくていい。私にとって成功とは寿命まで生き延びることだ。
 私は私の中にある違和感をどうにか出来て、あと少しだけでも大人になれるなら、それでいい。

 私は詩を書いている。別に資格がなければ名乗れない職業ではない。私は詩を書いている。毎日毎日。だから詩人と名乗っている。今日もどうしようもなくて、つらくて、答えは出ないことに悩んでいる。それにせめて形を与えてやりたい。だから今日も詩を書いている。

 

 

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