【漫画感想】『迷走戦士永田カビのグルメでGO!』永田カビ作

迷走戦士・永田カビ グルメでGO! 分冊版 : 1 (webアクションコミックス) https://www.amazon.co.jp/dp/B08XXTKQHJ/ref=cm_sw_r_awdo_WYXCAENBEXHXGFZREX5C

 

私は永田カビ先生の作品が大好きだ。数年前、何故かわからないけれど、『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を手に取ったのが始まりだった。当時は「社会でちゃんとやれている自分」に違和感を持たずに生きていたと思う。だから「さびしすぎて」も「レズ風俗」もピンときたわけでもない。「レズ風俗に行った」という体験が特段読みたいというわけでもなかった。
ただ、何故か気づいたら本書を持って会計をしていた。家に帰ってすぐに読み、この本が、自分にとってものすごく必要な作品であることがわかった。
「わかる…」体験が同じわけでも無い、人生が似ているわけでも無い。でも、ものすごく、心の奥底まで作品の手が伸びてくるような体感があった。意識から外していた自分の苦しさが、ここに表現されている気がした。生き方も考えも、違う、行動も違う、何が同じかなんてわからないけれど、永田カビ先生を読んだ時の感覚は太宰治萩原朔太郎を読んだ時の「ああ、私がここにいる」という感覚と同じだった。
それから永田カビ先生の作品は全て読んでいる。上記の『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』にはじまり、『一人交換日記』、『一人交換日記2』、『現実逃避してたらボロボロになった話』、『迷走戦士永田カビ』、『迷走戦士永田カビのグルメでGO!』(こちらは電子書籍のみ)、今月発売された『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の文庫版も予約して購入した。
どの作品も何度も何度も読み返している。部屋に本の収納スペースが無くなり、漫画は全て電子で読んでいる私だが、永田カビ先生の作品は全て書籍で持っている。
kindleで読める『迷走戦士永田カビのグルメでGO!』に、今朝心から共感したことがあった。私はストレスから過食(仕事していた頃は飲酒も)に走る傾向があった。かと思えばお粥ばかり食べて痩せる時期もある。だが、過去の仕事では食事に行く機会が多かったこともあり、固形物を長いこと入れずに宴席で食事を取ると帰宅後戻してしまうことがあった。だから固形物を食べ始めると一転して過食、減った体重はリバウンドしてさらに増える。そんなこんなで体重が安定しない。
今朝、口の中をジャンクなものでいっぱいにしたくなった。(あ、ストレスだな…)と思った。頭の中は食べ物でいっぱいだった。唯一の救いは飲酒を我慢できる事だった。
先日まで過敏性腸症候群になり、薬で落ち着き、お粥と夜は固形物という暮らしをしていた。体重がこのまま落ちればいいのに、もう食事も取らなくて良くなればいいのにと思って食べる事自体を避けていたが、外でこれから働こうという気になり、ただでさえ落ちている体力をこれ以上落とされまいと食べるようになった。
だが、いざ求職活動が始まると度数の強い酒が欲しくなり、甘くてカロリーの高い菓子パンや、ガッツリ系の調理パンが食べたくて仕方なくなった。(私はご飯派なので、普段そこまでパンに反応しない)
そして今朝、コンビニでジャンクなものを買い漁ろうと雨の中出て行った。口が欲していたのはカレーパンだった。その時、永田カビ先生の『迷走戦士永田カビのグルメでGO!』の冒頭を思い出した。作中「揚げた芋でしかどうにもできない気持ちというものが有る」と言うモノローグが入るのだが、まさにそういう状態だった。
揚げたザクザクのものでしかどうしようもならない。スナック菓子とかそういうのじゃない。ネタバレにならないように詳しくは書けないが、口の中で油を感じるということでカタルシスが生まれるということが描かれてあり、詰まるところ私もどうしようもなく埋めようの無い気持ちに苛まれ、虚しくて、憂鬱で、もう消えたくて仕方がないのを油でどうこうしてもらいたいという状態だった。
私の場合、コロッケでは無く、カレーパンがそうであった。昔はカレーパンは好きではなかった。普段も特にカレーパンを食べたくなることはない。でも、今日はカレーパンだった。カロリーの高いジャンクなものを探し求めて店内を歩いても、お菓子では無い、パスタでも無い、肉でも無い、過食すると思っていたわりに、脳はもうカレーパン一択でほぼ停止していた。今日は甘い高カロリーの菓子パンでは私は救えなかった。カレーパン、揚げたパンにスパイシーなカレーがぎゅっと詰まった、口に入れたら油とカレーのスパイスで脳が飛びそうになるような、そんな不健全な思いでカレーパンをカゴに入れた。
他にも一応(?)甘いものやら、大好きなブリトーなどを買ったが、帰宅して、すぐ正座してカレーパンを食べた。もうこれだけでよかったんだ。カロリーは400kcal以上ある、朝からずっしりくる、美味しい、油が唇を覆う感覚、でももうそれ以上何かを食べたいとは不思議と思わず、食べ終わってまもなく、胃痛がやってきた。
片手でカレーパンを持ちスマホで『迷走戦士永田カビのグルメでGO!』を読んでいた。コンビニのコロッケを食べている永田先生と同じ気持ちになれた気がした。
埋まらない気持ち。どうして過度に食べてしまうのか。自分でなんとなくわかっている。家族がいても友達がいても、根源的な孤独が埋まらない事。いつも空いている孤独の穴が広がってゆくと過食や飲酒に走りたくなる。外で頑張るほど穴が広がる。社会的な顔の私が詩を書く私を踏みつけて前は前へと進んでゆく。「もういいじゃん、もう頑張らないでよ」、「じゃあどうやって生きていくの?」、「だけど頑張りすぎて同じこと繰り返すのは本末転倒…」、「金がいる。お前の詩はいつ金になる?」、「芸術というのは、一人にでも伝わればいいんだよ」、「税金、年金、保険料、生きているだけで金がかかる。詩集作るのにも金がいる。金、金、金を作らねばならない。」自答に自答を繰り返して、心はすっかり疲れてしまった。
本当にやりたいことがあっても、それで生きていくことを自分が許してくれない。金とか才能とかだって、自分が無理矢理見つけてくっつけている理由でしか無い。
それでも、役に立つものが書けたのなら、役に立つことを発信してそれが楽しいことだとしたら、その人はついているよなぁなんて思ってしまう。

文字列、文字列、でも、そこに私の本懐が、本音が、表現がある。踏みつける自分の足を掴んで泣いている。外で働くから、もう「切るな」よ、冷たく私は私に言う。

口の中で油が弾けている。私に取ってはカレーパンだったのか。カレーパンにしかどうにもできなかったのか。食べ終わり、取り敢えず、ひとつ納得した。

永田先生と私の共通点は数えていない。太宰や朔太郎を読んだ時と同じ。似ているとか共感とかじゃなくて、ただただ、「ああ、私がここにいる」そういう言葉にすれば結局は共感ってことじゃないの?と思われそうだが、もっと奥の奥の奥、そこに作品の手が伸びてくる感覚。詩を書いているくせにこういうことを明文化出来ない。しかし書いたところで完全なる抽象的表現の羅列にしかならない。詩に何らかの破片が混じることがあるかもしれない。

ああ、胃がまた、何かを求めている。
空洞が広がってゆく。
精神的な思考的な苦しみを本能的な方法で解消しようとする。人間は自分が動物とは違うと思って生きてるかもしれないけれど、兎、像、猿、魚、鯨、虫、何も変わらないでその名詞たちの横に人が並ぶだけだと思う。

難しいことを考えるな。
思考はいつも五月蝿い。
脳は永遠に暴走するしか無い。
理性なんて、本当か?
冷静なんて、本当か?

けれども本当に食べたかったカレーパンが、今日は売ってなくて、妥協して買った。味は美味しい。けれども食べたかったのは違うカレーパンだった。

私が好きなものって、店から無くなりやすい。

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