散文詩想

 

「切り取られたメッセージ
浮き出た一部が全てになる
かなしいことも
うれしいことも
連続性の一コマだとしても
それらが私の全てと語られる」

 

……………

つまり、私にとっての詩とは瞬間の鮮明である。それが白昼夢でも現実でもいい、ドラマにはドラマの、小説には小説の、詩には詩の表情がある。滲み出る個性を濾過するか、インクで全て染め上げるか、それは書き手による。辞書を引くも良し、造語を使うも良し、誰に伝わるか伝わるまいか、それを気にする前に素のままの言葉の原型を私は作り手として視る必要がある。語感と五感、韻文が散文か、問題はその原型が空を飛ぶのに必要な素材。何を欲するかを聞く。
音になる前に言葉は在るのか。音になることで言葉と成るのか。そういう答えのない問いを繰り返す。燻り続ける自分の火種が、いつか爆ぜる日を待つように。そうしてその事象に祈るように。全てを込めて書くほかない。狭い門の前で、皆皆後世のことを考えず我儘に生きていった、そういう先人たちに苛立つのは羨望の気持ちがあるからだ。

 

そうして、無為自然に身を任せるように生きて、神の見えざる手に従いながら、私の思想は詩になる。今日も明日も。

 

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