実績が無いから書けること

Twitterにて詩を投稿しています。
雪水雪技(ゆきみず そそぎ)と申します。

今月は詩集とKindleの出版を始めることにして、まずは一冊書いてみた。

2022年6月7日出版
『さようなら 社会人。』
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B3DGMR3V/ref=cm_sw_r_awdo_QGY3VTM1E751P2NMCS3C

あらすじ
「こうして私は仕事を辞めた」
仕事が大好きでそのためにあらゆる努力をしてきた著者が、どうして仕事を辞めることになったのか。
自分の理想像のために自分を無視し続けた。無理の上に成り立たせた成功はあっけなく無くなってしまった。
過剰に環境に合わせ、過剰に人から嫌われることを恐れ、そのために作り上げた自分が自分を潰していくその過程を赤裸々に書いた。毎日がなんだか辛い、苦しい人に、一度立ち止まってもらうための一冊。


ということで、今は二冊目を執筆中だ。やはり、一冊目が難所らしい。その一冊目を出したのだから自分で自分に自信を持っていいはずだ。しかし、どうにも雑念が消えない。雑念というか不安だ。私は私を認めてあげることから始めなければならない。どうしても、古い観念が新しい生き方にストップをかける。

何者でも無いから書けることがある。
成功体験、成功術、そういう本はたくさんある。
でも、何かを成さなきゃ、本を書いてはいけないというわけではない。誰だって書いていい。誰だってかけがえのない、唯一無二の自分を表現したっていい。誰の許可もいらない。情熱に従って表したいことを具現化させていけばいい。

そう、書けば単純なことなのだ。
だのに、私は飛び込んだ割には未だに思い切りが足りない。最早乗り掛かった舟だというのに。

私は恐ろしく短気だ。長い目で見るということが出来ない。人生の中のたった一ヶ月すら耐えられないで毎日不安と緊張の中にいる。…というようなことを二冊目に書いている。「好きなことで生きていく」というのは特別な人じゃなくても選べる。けれど、実際自分への信頼が薄い私がやったらこうなった…ということをまたしても赤裸々に書いている。

誰に向けているのか、それはわからない。最初の本だって、書きたいことを書いた。結局私は詩にしても本にしてもブログにしても、書きたいことしか書けないのだ。
戦略なんて無い。勝算も無い。自信も無い。
それなのに、それで生きていきたいって初めて本音で私は私に伝えてきたのだ。だから、それを尊重してあげないと、私は前作で書いた二十代を繰り返すことになる。

同じことは繰り返したく無い。
最近、「人生時計」というアプリを入れてみた。
これは平均寿命を元に私の残りの人生の時間がわかるというものだ。
ちなみに私の残りは63%。これはスマホのバッテリー残量だとしたら私の場合心許なくなる。実際はもっと短いかもしれない。寿命で言えば、母方に似れば長寿だが、父方に似れば短命だ。
足して割ったら平均寿命よりは短いかもしれないが、極端に短くはない。しかしそれはあくまで健康寿命上の話で、実際何で死ぬかなんてわからない。

どうしても、やりたくないことに時間を使いたくなく無い。やりたいこと、好きなこと、好きな人、そういうものに囲まれたい。それを罰するのは私だった。周りは誰も私を責めない。私が私を責めている。勤めていた頃と何も変わっていない。

だから最近は潜在意識の書き換え、散々やって諦めた引き寄せについてもう一度向き合っている。

自分に自信が無いと、何も受け取ることが出来ない。嬉しいことに距離をとり、辛いことにだけフォーカスする。そんな人生もう嫌だ。私は幸せになろうと決めた。今まで全部諦めていた。

何かを得るためには何かを諦めなければならないと、ずっと思っていた。でも、それはどうしてだろう。ありのままの自分が認められなくて、人のイメージと求める像に合わせていた。そしたら、上手くいった。外部の世界は驚くほど、上手くいっていた。けれども結果的に私は働けなくなった。

自分を大事になんて言葉嫌いだった。自分を褒めるといいと知って実践したら気持ち悪かった。

でも、そんなの悲しいと思った。自分は自分でいい。私は私のままでいい。そう心から認めて初めて、私の人生が始まるような気がした。遅いも早いも無い。いつからだっていい。

自分を癒すとか、言葉だけはずっと知っていた。でも私は、自分を律して、自分に厳しくして、そうして他者を優先するべきだと思っていた。
だから、自分を無視した。そして消えたくなった。何も成せない、出来ない、そんな自分を許せなかった。

だから、「それ」をやめようとようやく決めた。
私は幸せになっていい。許可なんていらない。

思うようにやって、うまくいかなくても、私は私をもう責めない。そのために、古い観念を書き換えようと色々試している今日この頃。

そんな日々をまた書いて、詩で、文で、朗読で、私は私の表現を続けようと思う。